私物語

honoka0324

梅川 穂花(うめかわ ほのか) URBANCRAFTスタイリスト

出身は大阪 育ちは宮城

仙台出身の父と大阪出身の母の元
1997年に大阪で生まれました!
兄弟は2歳上の兄が1人います。
小学校に上がる前まで大阪の吹田市で育ち
小学校からは宮城に引っ越し名取市で育ちました!

小学生時代

兄が少年野球を習っていてその影響で小学校一年生の頃いつのまにか私も習うことになりました!
(たいしてやる気もなかった笑)
それでも6年生まで辞めずに続けました。
運動神経は良く、足も当時は速く活発な小学生でした!
習い事は、野球、プール、ピアノをやっていました

中学生時代

中学生になって、バレーボール部に入部しました。
小学生までは野球をやっていましたが、違うスポーツをやってみたくなり、まったくの初心者でしたがバレーボールを始めました。
中学2年生の時に3.11 東日本大震災がありました。
今まで経験したことのないほど強い揺れに、大きな恐怖を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
当たり前だった日常は一変し、ライフラインもすべて止まり、普段の生活を取り戻すまでには長い時間がかかりました。
この経験を通して、普段の何気ない日常のありがたさを改めて感じました。
また、家族や周りの人との支え合いの大切さを実感した出来事でもありました。

高校生時代

高校は宮城県仙台西高等学校に通っていました。
選んだ理由は、家から一番近かったからです!
かなりシンプルな理由で決めたのですが、今思うと少し後悔しています(笑)
高校時代は部活には入らず、アルバイト三昧の日々を過ごしていました。
最初に始めたアルバイトは、東北楽天ゴールデンイーグルスの球場でのビールの売り子です。
かなりハードな仕事で大変でしたが、1シーズンちょっと続けた後に辞め、その後はミニストップでアルバイトを始めました。
ミニストップでのバイトはとても楽しく、専門学校を卒業するまでずっと続けていました!

美容師を目指した理由

私が美容師を目指した理由は、手に職をつけたかったからです。
中学生の頃から、なんとなく「美容師さんっていいな」と思っていました。
美容室に行って髪を綺麗にしてもらった時の嬉しさや、当時担当してくださっていた美容師さんの姿を見て、「素敵だな」と憧れを持ったことが、美容師を志したきっかけです。
ただ、私はもともとコミュニケーションが得意ではなく、人見知りも激しかったので、「自分にできるのかな」と不安に思う気持ちもありました。
でも逆に、美容師になれば自然とコミュニケーション力が鍛えられて、苦手を克服できるかもしれないと思い、あえて自分には向いていないかもしれない職業に挑戦することを決めました。
今振り返ると、自分からあえて大変な道を選んでいたんだなと思います。

専門学生時代

美容師になることを決意し、私は仙台理容美容専門学校へ入学しました。
専門学生時代の私は、とにかく超真面目でした!
特にワインディングという技術にどハマりして、朝は誰よりも早く学校へ行って朝練をしたり、夜も家で毎日練習を重ねていました。
また、座学の成績も良く、いわゆる優等生タイプだったと思います。
今振り返ると、人生で一番真面目に生きていた時期かもしれません(笑)

人生で最大の挫折

真面目な専門学生時代を過ごしていましたが、今でも思い返すと胸が苦しくなるような挫折を経験しました。
朝も夜も、毎日ひたすらワインディングの練習をしていた私は、
専門学校2年生の時にワインディングの大会へ出場しました。
校内で代表に選ばれた5名だけが、東北の美容学校が集まる大会に出場できるというものでした。
その大会に向けて、私は本気で練習に打ち込んでいました。
誰よりも早く学校へ行って朝練をし、家に帰ってからも夜遅くまで練習する毎日。
「絶対に結果を出したい」そんな気持ちだけで走り続けていました。
ですが、本番当日。 緊張で手の震えが止まらなくなってしまったんです。
思うように指が動かず、焦れば焦るほど頭が真っ白になっていって…。
そして結局、制限時間内に最後まで巻き終えることができませんでした。
あれだけ練習してきたのに、何も出し切れなかった。
悔しくて、情けなくて、自分の弱さを突きつけられたような気持ちでした。
でも今振り返ると、あの経験があったからこそ、ただ技術を磨くだけではなく、気持ちの面も含めて成長することの大切さを学べたと思っています。

美容室に就職

美容師国家試験も無事に合格し、
専門学校を卒業して仙台の美容室に就職しました。
就職した美容室は、仙台で50年程続く歴史のあるグループ店でした。
当時は8店舗ほど宮城県内に店舗があり、同期も10人位いました。
私が配属された店舗は、スタッフの年齢層も幅広く、お客様も大人世代の方が多い店舗でした。
アシスタント時代は覚えることがたくさんあったり、忙しかったりそれなりに大変だったような記憶があります。
教育カリキュラムがしっかり組まれていて
カラー、ヘッドスパ、カット、パーマ、ヘアセット、メイクなど美容師としての基礎を教えていただけました。

1番の思い出

前社での一番の思い出は、アシスタント1年目の時の新年会です。
毎年、新年会では1年目のスタッフが出し物をする恒例があり、営業終わりに同期で集まって、何をするか考えたり、練習を重ねていました。
先輩たちからは「恥ずかしがったらだめだよ!」「ちゃんと笑わせないとだめだよ!」とプレッシャーもあり、みんなで必死に練習していました笑
その年に流行っていた【バブリーダンス】と【欅坂46の不協和音】を披露することに決め、衣装を自分たちで用意したり、台本を考えたり、ダンスを覚えたりと、本気で準備していました。
本番は無事に終えることができ、先輩方から「よかったよ!」と言っていただけて、頑張って練習してよかったなと思いました笑
当時の私は、まだお店でもあまり自分を出せず、大人しい印象を持たれていたのですが、本番では全力でダンスを踊ったり、顔芸までしていたので、「こんなことできる子だったんだ!」と驚かれたみたいです笑
同期との絆も深まり、とても良い思い出になっています。
今でもたまにその時の動画を見返すと笑ってしまいます!

スタイリストデビュー

スタイリストになるためには、教育カリキュラムの項目を合格し、カット・パーマ・カラーのモデルを規定人数こなした上で、実際にモデルさんをカットするオーディションに合格する必要がありました。
当時の教育マネージャーの方針で、私たちの代から「アシスタント2年目の3月に必ずオーディションを受けること」「それまでにモデル人数をクリアすること」が決まりました。
その話を聞いたのは、ちょうどカットモデルを始めたばかりの頃でした。私はどちらかというと、まずは素直に受け入れて行動するタイプなので、「やるしかない!」と思い、そこからモデルをこなす日々が始まりました。
そして2年目の3月にオーディションを受けましたが、結果は不合格でした。
その後もう一度挑戦し、2回目のオーディションで無事に合格することができました。
こうしてスタイリストデビューを迎えることができ、とても嬉しかったのを覚えています。

美容師の難しさ

スタイリストデビューをしてからも、そこからが本当のスタートでした。
特に難しさを感じたのが「集客」です。
当時働いていたお店は常連のお客様が多く、ご新規のお客様の来店はあまり多くありませんでした。
また、集客サイトなどにもそこまで力を入れていない会社だったこともあり、最初は入客できる機会が本当に少なかったです。
なかなか売上につながらず、美容師としての難しさを痛感する日々でした。
今は縮毛矯正を自分の強みとして打ち出していますが、当時はまだ「これが得意です!」と自信を持って言える技術もなく、今振り返ると足りない部分ばかりだったなと思います。
それでも、私は美容の技術がとても好きでした。
「もっと上手くなりたい」という気持ちは常に強く持っていて、向上心だけはずっと持ち続けていました。

縮毛矯正の勉強

私が縮毛矯正を本格的に勉強し始めたきっかけは、
「縮毛矯正のことを何も分かっていなかったから」です。
カット・カラー・パーマなどは一通り教わっていましたが、当時働いていたお店には縮毛矯正に詳しいスタッフがおらず、私自身もほとんど知識がない状態でした。
今振り返ると、少し怖いくらいです。
当然、うまくいかないことも多くありました。
縮毛矯正=薬剤が強いというイメージでした。
「なんで癖が伸びないんだろう?」と疑問を持つようになり、自分で調べ始めたのが最初でした。
調べていくうちに、薬剤の種類や縮毛矯正の仕組みなど、自分が知らないことばかりだと気づきました。
当時お店では「クオライン」というアルカリ矯正剤を使用していたのですが、調べていく中で【酸性矯正】というものがあることを知りました。「ブリーチ毛やダメージ毛にもかけられる」と知った時は、本当に衝撃でした。
そんな技術があるのかと思い、クオラインから酸性矯正剤が出たタイミングで実際に試してみることにしました。
すると、アルカリ矯正と比べて質感が柔らかく、ツヤも出やすく、とても感動したのを覚えています。

ケミカレーションに入ったきっかけ

縮毛矯正やケミカルに少しずつ興味を持ち始めたときに、
どうやらケミカルに詳しい美容師さんで【たもさん】という方がいると知りました。
Instagramをフォローして投稿を見ていましたが
Instagramの投稿がビビッドな背景のカラーに、文字ばっかりずらーと羅列していて何だこの人はと思ったのを覚えています。
私の同期の友達でしのぶという子がいて、しのぶもたもさんのことをフォローしていました。たもさんの独特の世界観が好きだったみたいで推しだと言っていました。
しのぶからある時急に、横浜でたもさんと畠山さんが講習会するみたいなんだけど行かない?と誘われました。
私も行ってみたいなと思ったので、行くことにしました!
ただケミカルの知識がほとんどその時はなかったので講習会の内容について行けるか不安でいっぱいでした。
受講者も縮毛矯正のプロみたいな人が集まるんだろうね うちらついていけるのかな?ってしのぶと話していました。
講習参加者に事前に送られてきた資料を見ても何が何だかさっぱりわからず、ただただ不安な気持ちと楽しみな気持ちで講習会に参加しました!
たもさんがどういう人かその時詳しくわからなかったので、マニアックすぎて変態かもしれないねと話していました笑
講習会では必死にメモを取ったり、インプットしようと頑張りましたが頭がパンパンになった記憶があります笑
はじめてたもさんを講習会で見た感想は、最初は声が小さくていじられていて、でもだんだんマシンガントークのようにケミカル知識を話していておもしろい人だなと思いました。
講習会でのたもさんの縮毛矯正の仕上がりがめちゃくちゃ綺麗で、こんな柔らかくて綺麗な縮毛矯正ができるんだ!!と衝撃を受けました。
お店に帰ってから、講習会の内容をお店のスタッフに報告しないといけなかったので、紙に内容をまとめていたら、少しずつ内容が理解をできてきて、自分もこういうことをやりたい!!もっと勉強したい!!と思うようになりました。

縮毛矯正の勉強

当時の私は髪をブリーチしていて、正直ホームケアもあまりちゃんとできていなかったので、髪はかなりダメージしていました。
講習会に参加してからは、たもさんの投稿をしっかり見るようになり、美容師限定のFacebookコミュニティ「タモサイト」も見るようになりました。
そこで、ダメージ毛に必要なケアや、髪の構造、成分について少しずつ勉強するようになりました。
学べば学ぶほど、「今まで本当に何も知らなかったんだな…」と痛感しました。
それと同時に、当時勤めていた美容室で扱っていたヘアケア商品に対しても、「本当に効果があるのかな?」と疑問を持つようになりました。
まずは自分の髪を綺麗にしていこうと思い、たもさんの商品を使い始めました。
すると、ボロボロだった髪が少しずつ扱いやすくなっていくのを実感できたんです。
そこからもっと成分の知識をつけたい、いろんなアイテムを試したい、ケミカルを深く学びたいと思うようになり、たもさんのオンラインサロン【ケミカレーション】に入会することを決めました。
ただ、入会にはそれなりにお金もかかるので、最初は少し悩みました。
一緒に講習会へ行っていたしのぶにも相談すると、しのぶも同じように迷っていて、「じゃあ一緒に入ろう!」とお互い背中を押し合ったのを覚えています笑
「入るなら今だ!」と思い、自分への投資だと思って入会を決めました☺
後から知ったのですが、【ケミカレーション】はオーナーさんやベテラン美容師さんが多く所属するオンラインサロンだったみたいで、当時の私みたいなぺーぺーが入る場所ではなかったみたいです笑
実際、入会したものの内容はかなり難しく、正直最初は何を言っているのか全然分かりませんでした。
手取り足取り教えてくれるような環境ではなく、「自分で学びにいく」スタイルだったので、最初はかなり苦戦しました笑

ケミカレーションに入る

ケミカレーションに入会してすぐの頃、中途で男性スタッフの方が入社されることを知りました。
「ケミカルが好きな方らしい」という噂を聞いて、仲良くなりたい!と思ったのを覚えています。
実際にお話しする機会があり、その方も【ケミカレーション】に入会していることを知りました。
私はまだ入会したばかりで、「何から揃えればいいのか全然分からないんです…」と相談すると、「まずはこれを買うといいよ」とおすすめのアイテムをたくさん教えてくださいました。
今思うと、その方がいなかったら、何を使えばいいのかも分からず、なかなか行動できていなかったと思います。本当に感謝しています。
教えていただいたアイテムをすぐに購入し、使い方も教わりながら実際に試し始めました。
少しずつアイテムを揃えていく楽しさや、知識が増えていく楽しさを感じるようになり、どんどんケミカルの勉強に夢中になっていきました。
初めて私の母親にケミカレーションの商材を試すために、縮毛矯正をかけたときに、今までの矯正とはあきらかに違う質の高さを実感することができました。

求人

ヘアケア商品や成分について勉強していくうちに、サロンで扱っていた商品や商材の中には、効果が弱いものや、「本当に必要なのかな?」と思うものがあることを知るようになりました。
お客様からお金をいただく以上、自分自身が本当に良いと思えるものを使いたい。
そして、ホームケアでも自信を持っておすすめできるものを使ってほしい。
そんな気持ちが少しずつ強くなっていきました。
ただ、実際には大人の事情もあり、自分の使いたいものを自由に使えたり、商材を自由に選べる環境ではありませんでした。
仕方のないことだと分かってはいましたが、どこかずっともやもやした気持ちを抱えていました。
「自分がもっと結果を出せれば、少しずつ変えていけるかもしれない」と思っていましたが、なかなかうまくいかず、次第に「環境を変えたいな」と思うようになっていきました。
でも、環境を変えることには大きな不安もありました。
なかなか一歩を踏み出せず、「今は自分が頑張るしかない」と思いながら、勉強を続けていました。
そんな時、Instagramでたもさんの【求人募集】の投稿を見つけました。
その瞬間、直感的に「いいな、ここで働きたい!」と思ったんです。
たもさんのもとで働けたら、自分のやりたいことができるし、もっと勉強できる。
美容師として成長できるんじゃないかと思いました。
ただ、上京することへの不安や、それまでずっと実家暮らしだったこともあり、一人暮らしを始めることへの不安も大きく、すごく悩みました。

動き出す

その求人を見た数日後、しのぶと会う機会がありました。
その時に、「正直、たもさんのところに行きたいと思ったんだよね」と話したら、しのぶはすぐに「行った方がいいと思う!」と背中を押してくれました。
しのぶとは専門学校から同じクラスで、就職した会社も同じでした。
配属店舗は違いましたが、アシスタント時代の大変な時期に、お互い愚痴を言い合ったり、励まし合ったりしながら頑張ってきた存在でした。
休日には一緒にキャンプへ行ったり、本当に【同志】であり【良き理解者】でした。
「梅川が遠くに行っちゃうのは寂しいけど、たもさんのところに行ってほしい!」
そう言ってくれた言葉は、今でもすごく覚えています。
しのぶに背中を押してもらい、面接をお願いするメッセージを送ることを決めました。
でも、自分の環境や人生が変わるかもしれないと思うと、本当に怖くて、なかなか送信ボタンを押すことができませんでした。
送信するまでに、かなり時間がかかったと思います。
勇気を出してなんとか送信できた時は、不思議と達成感と安心感がありました(笑)
そのやり取りを、しのぶとマックでしていたのですが、「そろそろ帰ろうか」となり、駐車場へ向かいました。
車に乗ろうとして鍵を開けようとしたのですが、全然開かなくて、「あれ?」と思ったら、私と同じ車種・同じ色の、まったく別の人の車を開けようとしていたんです(笑)
普段なら絶対にそんな間違いしないので、それくらいいつもと違う心境だったんだと思います(笑)
しのぶとそのことに気づいて爆笑していたら、気づいたらしのぶが泣いていて。
「どうしたの?」と聞くと、
「梅川が行っちゃう〜😢」と泣いていて、私は「いやいや、まだ面接行くだけだから!採用されるかわからないよ(笑)」と笑っていました(笑)

感謝

面接の日程が決まり、東村山にあるURBAN CRAFTへ面接に行きました。
正直、Facebookでたもさんの投稿を見ていると、よく怒っている印象があったので、「怖そうな人」「厳しそうな人」というイメージを勝手に持っていました(笑)
なので、面接当日は本当にすごく緊張していました。
でも、実際にお会いしてお話してみると、想像していたよりずっと優しくて安心したのを覚えています(笑)
ケミカレーションに入っていることを伝えると、とても驚かれました。
これまでの自分の話や、「こういう美容師になりたい」「こういうことがやりたい」という話をすると、すぐに理解してくださり、その場で採用が決まりました。
もちろん嬉しかったですし、安心感もありました。
でも同時に、「本当に受かったんだ…」という不思議な感覚もあり、複雑な気持ちでした。
というのも、実は面接に来ることを、親にも話していなかったんです(笑)
数人の友人には話していましたが、家族にも、会社にも、当時付き合っていた彼にも言わずに来ていました。
なので、これからみんなに話さなければいけない…という不安を抱えながら仙台へ帰ったのを覚えています。
次の日、親に「今の会社を辞めて、東京の東村山で働くことが決まった」と伝えると、父は少し動揺した様子でしたが、「そうか、好きにしたらいい」と反対せずに話を聞いてくれました。
母はかなり驚いていて、「行かないで」と泣いていました。
それでも、「もう決めたから」と伝えると、最終的には受け入れてくれました。
その中でも、一番悲しんでいたのはおばあちゃんでした。
おばあちゃんは昔から私のことをすごく頼ってくれていたので、これからは今までみたいにすぐ近くにいてあげられなくなることが、本当に申し訳なく感じました。
「頑張っておいで」と応援してくれる気持ちも伝わってきましたが、やっぱり寂しそうな姿を見ると、私自身もとても寂しかったのを覚えています。
会社の方たちに報告した時も、みなさん驚いていましたが、理解して応援してくださる方が多く、本当にありがたかったです。
担当していたお客様にも直接お伝えしました。
悲しんでくださる方もいて、申し訳ない気持ちもありましたが、それだけ信頼して通ってくださっていたんだと思うと、本当にありがたく感じました。

仙台から東村山へ

アーバンクラフトで働くことは、私にとって人生の大きな転機でした。
何もかもを手放して、縁もゆかりもない東京・東村山で挑戦する覚悟を持って来ました。
お客様にも、仙台から最近引っ越してきたことをお話すると、
「なんでこんなところに来たの?(笑)」とよく言われます(笑)
本当に、“ここにお店があったから”という理由だけで来ました(笑)
東村山がどんな場所なのかも全然知らなくて、
「多摩地区ってなに?」
「西武多摩湖線ってなんだ?」
そんな状態でした(笑)
よく「行動力あるね」と言っていただくのですが、確かに好奇心や行動力はあるタイプだと思います。
でもその反面、環境の変化や刺激には弱いタイプでもあります。
いわゆるHSS型HSP気質だなと自分で思っています。
なので、自分で決めたことではあったのですが、実際に働き始めるまでは、不安に押しつぶされそうなくらい辛かったのを覚えています。
引っ越しをして住み始める時は、泣きながら新幹線に乗りましたし、一人暮らしの部屋に慣れず、全然眠ることができませんでした笑

現在

アーバンクラフトで働き始めて、まもなく1年が経とうとしています。
今は、ここに来て本当によかったなと心から思っています。
最初はお客様がまったくいない、0からのスタートでした。
それでも、自分のやりたいことに挑戦できる環境があり、以前感じていたようなストレスもなく働くことができています。
たもさんにも本当にたくさん面倒を見ていただいていて、日々いろいろなアドバイスをいただいています。
SNSの使い方や発信の仕方、仕事への考え方やマインドなど、美容師として必要なことをたくさん学ばせていただいています。
実際に一緒に働く中で、
「こういう風に考えるんだ」
「こうやってお客様に向き合うんだ」
と勉強になることばかりで、毎日刺激を受けています。
まだまだこれからもっと上を目指して頑張りたいと思っています。
「成長したね」と思っていただけるように、これからも日々学びながら、美容師として成長していきたいです☺

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